牧師ご挨拶

尾澤拓也牧師

多くの方々が、聖書、またキリストに出会い、恵みのうちを歩まれることを心から願っています

私は、キリスト教とは無縁の家庭に生まれましたが、幼いころはキリスト教主義の幼稚園に通っていました。卒園後もそのまま幼稚園の教会学校に通っていました。しかし小学校高学年になって、いい子でいなければならないことに嫌気が差して、教会学校に行かなくなり、時が過ぎていきました。

大学を卒業し、社会人2年目に、仕事の大変さで悩む中で、聖書を手に取る機会がありました。しかし、読んでも何を書いてあるのか全く分からず、教会で説教を聞けば、書かれている内容が理解できるのではないかと思い、近くの教会を見つけて通い始めました。

教会に再び行くようになって半年後、「聖書が説く罪人」とは自分のことだと心に示されました。
自分が洗礼を受けるということは、予想外のことでしたが、「イエス・キリストは十字架上で、私の罪のために死んでくださり、それゆえ私は赦された」ということを信じて、洗礼を受けました。その時には、自分が日常を生きる上でも、イエス・キリストは必要不可欠な存在になっていました。

受洗して約3年後に、牧師職への導きを感じ、会社員から転身して、現在も牧師としての歩みを続けています。
多くの方々が、聖書、またキリストに出会い、恵みのうちを歩まれることを心から願っています。

尾澤拓也


尾澤潤 牧師

「生ける神」と出会い

クリスチャンの母に連れられて、物心つく前から教会に通っていた私。洗礼を受けたのは5歳の時でした。

しかし、思春期を迎える頃には、教会に行くのが億劫で苦痛でした(笑)。クリスチャンとは名ばかりで、先生に反抗したり、友だちの悪口を言ったり、…自分でも自分が嫌いになるような少女時代でした。

でも、母や教会の方々が祈っていてくれたためか、大学受験を通して自ら神と出会い、「押しつけられた信仰」から「私の信仰」になりました。

希望の大学に行き、卒業後は新聞記者となり、自分が行きたい道を自由に歩いていた私ですが、「成功の絶頂にいる」と思っていた時に、もうひとたび「生ける神」と出会いました。私はとうとう、幼い時には「死んでもなりたくない」と思っていた牧師職に導かれました。

これまでの人生の総てがつながり、活かされて、これぞ「天職」。幸せな後半生を歩ませていただいております。

尾澤潤

尾澤潤牧師のブログ